乳がんと、その後の日々のこと。
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チム太の大脱走 その1
2016年03月06日 (日) | 編集 |
未だかつてないナイトメアのお話。長文です。
・・・

我が家のチム太(トンキニーズ・雄・5歳)を30時間近く脱走させてしまったのである。
FullSizeRender.jpg

夫が先週の金土、2日間の出張に出た。アメリカに来てからというもの仕事の帰りは早く、育児をしっかり分担してもらえている。有難いことなのだが、それ故に、いざ不在となった時の私は相当にてんやわんやとなる。

土曜は長男のデイケアがお休み。リズムが合うはずもない2歳と0歳の、どちらか、または同時の泣き声を常に聞きながら時間が過ぎる。なんとか外遊びをさせて夕方4時すぎ、車の中で寝落ちした長男を起こさぬよう、そっと抱きかかえて玄関を開ける。後ろ足に戸を蹴って、ベッドへ直行。次男も落ち着いていて、ホッと一息。しかしここからの1時間ちょっとも、夕飯の準備などでゆっくりはしていられない。

じき長男が起きてくれば、夕飯〜お風呂〜寝かしつけまで一気に突っ走るのだ!

…今日は少し部屋の中が寒い気がするけど、気のせいかな?

寝かしつけに手こずり、夜の9時半頃、急いでリビングに戻る。お腹を空かせた次男が結構な長い時間大泣きしているのが聞こえていた。早くミルクをあげて、今度は次男の寝かしつけだ!

…うーん寒すぎる。明らかに風が吹き込んできている。胸がザワザワする。

案の定、玄関の扉が10cmほど開いていた。夕方、後ろ足で蹴ったきりだった扉。不覚。急いで鍵をかける。振り向くと、ロシアンブルーのマイケルが鎮座している。
「マイケルいるね!チム太はどこ行った?!?!」
答えてくれるはずもない。大泣きの次男を抱っこして家中を探す。いない。

玄関の外に出てみる。植え込みや車の下…いない。血の気が引いて眩暈となる。

ほぼ半狂乱の自分を必死に制して、抱っこ紐を装着しダウンを着て再度外にでる。次男が「え、なにごと?ミルクは?」というような怪訝な表情で見つめてくる。「ごめんよ。チム太を探さないと。チム〜チム〜〜」小走りに半径30m範囲くらいを回ったと思うが見つけられない。犬の散歩に出ている人とすれ違う。彼らにとって、赤子を抱えて半泣きでChimuta〜と意味不明な単語を呟きながら人の家の車やら玄関先を覗くアジア人は、不審者以外の何者でもなかろう。

一旦、家に戻り、次男にミルクをやってベッドに放り込む。

そしてまた外にでる。今度は懐中電灯を持って。でも気配すら感じられない。

0時過ぎに夫が帰宅。捜索してもらうが成果はなし。

ネットで「猫・脱走」などと検索して対策を考える。匂いがわかるように、猫トイレの砂とエサを周辺に撒いた。また、いつでも戻れるようにガレージを半分開けておき、いつも使っているトイレとベッドを設置。朝、そこでちゃっかり寝ててくれればいいな…

そこまでしたところで夜中の2時近かった。私は気分が悪くなってしまい、夫に今回の失態を詫びて、失意のまま横になった。こんな時に睡眠を取ろうとしている自分に腹がたったが、それ以上頭を上げていることはできなかった。

そして朝が来た。
ひどい胸焼けと頭痛で目が覚めるような、なんとも気持ちの悪い日曜の朝が。チム太のいない朝。夢ではなかった。

正直、チム太は手のかかる子である。
粗相をする。犬の如き人懐っこさで膝に飛び乗り、耳たぶをチュウチュウ吸ってくる、それはカワイイを通り越してもはやシツコイ。マイケルに比べて抜け毛も非常に多い。朝方ものすごいダミ声で鳴いたりする。誤食癖があり、靴下は何足食べられたことか。
…でもそれは全て当たり前の、私の日常風景だったのに。有難くて、幸せな毎日。こんなに大事な子だったんだ。チム太のダミ声が脳内リフレインする。

もし、チム太を見つけられなかったら…
見つけられたとしても、事故などに遭ってしまった亡骸だったりしたら…
どん底の妄想が止まらなかった。

私の人生は、チム太前/チム太後で大きく変わるのだ。
愛猫を守れなかった。この先、心から笑える日が来ることはない。笑えたとしてもそれは仮面。心はずっとずっと泣いたままだ。そんな母に育てられる息子たちも不幸なことよ…
周りには「ちいがチム太を脱走させた」と後ろ指をさされる。またはやたらに哀れまれる。そう私は一生、十字架を背負って生きて行く。
アメリカ生活も苦い思い出となってしまう。数年後、機上で、もう2度とチム太に会えないと、再び罪の重さを思い知るのだ。

ごめんよ、チム太。本当にごめん。

・・・
ここまで読んでくださった皆さん、心の声、聞こえてますよ。
「ちいさんて、アホなの?それとも、バカなの?」

そうですよね。そう思います。でも心底、大真面目に、絶望の淵に立たされていました。

その2に続きます。
長男2歳になりました
2016年02月26日 (金) | 編集 |
2月12日に長男は2歳になりました。
image2.jpg

1歳8ヶ月で弟を迎えて以降、週5日フルタイムでデイケア(保育園的なものです)へ通い絶賛バイリンガル化進行中。渡米前には、日本の小児科の先生に、英語が入ることによる言葉の遅れを予想されていました。今、彼の脳内でどのように英語と日本語を処理しているのか、果たしてその量がいかほどなのか、まだまだ拙いので正確にはわかりませんが、この半年で随分とおしゃべりにはなりました。

だってこちらに来る前は、「アッコ」「ネンネ」「パン」くらいしか言えなかったのが、今や「カーカ、チ◯チ◯、ナ〜イ」(訳:母さんには◯ン◯ンが無い)と3語続けられるんです!すごいなぁ。

image1_20160226170258d59.jpgエス!S!と言っています。彼のイニシャル。

弟が生まれた直後は母さん拒否が激しくなり、キーキー叫ぶ、弟を踏みつぶそうとする(汗)など、明らかな情緒不安定も見られました。言葉のストレスからなのか、デイケアのお友達を噛んでしまう事もあると言われ、少し心配していました。が、ここ数週間で急に落ち着いてきたようにも見え…弟を抱っこすると言ってみたり、オムツを持ってきてくれたり、また寝かしつけにおいては必ず母さんにご指名を入れるなど、彼なりに状況の変化に折り合いをつけ、受け入れる努力をしてくれているようです。成長に感謝!

好きなものは飛行機、車、電車で、ザ・男子!

飛行機図鑑を見ながら、そのロゴをあっという間に覚えていき
「ポッポーアイアイー!」(シンガポールエアライン)
「ルフッアンザ!」(ルフトハンザ)
「ブッシュ アイアイー!」(ブリティッシュエアライン)
「ディカン クックー!」(大韓航空)
「エーヌエー!」(ANA)
「ケーエルエンッ!」(KLM)
「タ〜イ!」(タイ国際航空)
などと嬉しそうに叫ぶ日々。
ちなみに 「エアドゥ」と「エバー航空」の発音は完璧(マイナー志向なのか?)
また日本航空は「トリ」だそうです。。。

車は赤がお気に入りの様子で、街中で見かけると「アッカイcar‼︎カッコウィー‼︎」と興奮状態に。

歌を口ずさむようになったり、音楽に合わせて踊ってみたり、相変わらず公園で体を動かすのも大好き。

生活の全てが日本とは勝手が違うので心配事は絶えませんが、母子ともに手探りしつつなんとか元気にやっております!
image1.jpgおおきくなれよ!

次男出産のとき
2016年01月05日 (火) | 編集 |
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

突然ですが昨年内アップできなかった↓お産記事を汗


2015.10.1 出産の日の記録〜
かすかな記憶をもとにしてるので、時系列は自信のない部分もありますが…

基本的な状況としては ◾️予定日まで10日残 ◾️1週間ほど前から前駆っぽい怪しい痛みあり ◾️夫、車で3時間の山の向こうに出張中 ◾️そのため3日前から義母が待機要員で在宅中 ◾️朝一に少量の出血あったが、まさかお印と思わず、日中はバラ園をお散歩していた 

AM0:00 陣痛開始。
結構痛いけどまた前駆かな?今騒いで収まってしまったらとんだ迷惑だなぁ…長男を起こすのも可哀想…できれば朝一でデイケアに送り届けてから行動開始したいな…ていうか、私も寝て体力温存したいんだよな…などと思案しているとアレヨアレヨと10分、7分、5分と間隔が短くなっていく。うとうとしては痛みで目が覚める。夫とは逐一電話。病院への確認電話もしてもらう。

AM3:30 痛み3分間隔に。
これはもう間違いない、来てしまったのだと腹をくくり、義母を起こして入院準備。アメリカの運転2年ぶりという到着3日目の義母と、快眠を妨げられ悲惨な1歳8ヶ月の長男、3分おきに悶絶するちいがiPhoneのナビ片手に真夜中のドライブ、珍道中すぎて一生忘れられない。

AM4:00 病院到着。
すでに陣痛は2分間隔で絶賛人格崩壊中。何も手につかないため義母にパンツを下ろしてもらい(!)後ろ開きのヘンテコなガウンに着替える。長男は一切騒ぐことはなく、なにやら尋常でない母をただじっと見つめていた(眠かっただけか?!)いつも外出先では落ち着いてなどいられない子なのに…空気を読んだのか、これには本当に助かった。子宮口6cm。「今日ベイビーに会えるわよ」というナースの言葉が優しくて、あーいよいよなんだなぁとこれまでの道のりを思い、涙が一筋。GBS陽性のためペニシリンの投与開始。

AM6:00 夫、下山。
入院する私の3倍くらいの荷物を抱えて夫が到着。ちょうど同じくらいに麻酔医の準備が整ったようで、ようやく無痛の薬を入れてもらえることに。これが入って直後からはも〜う!超気持ちいいー!お腹から下がジーンと痺れて完全に麻痺。パンツも脱げないほどにパニクっていた自分を思い出し恥じる。皆でここまでの経緯などなごやかに談笑。

AM8:00 義母帰宅、長男はデイケアへ。
夫の会社の方が協力してくださり、2人は病院を後に。いやはや、大変な一夜だったね…ありがとう。ところで、とてもラフなアメリカの出産。夫はソファで寝転びながら仕事の調整したり、カフェに行って朝食を食べたり…ちいは麻酔の影響でコントの老婆のようにガタガタ震えつつ(寒くはないよ)唯一口にすることを許された氷をガリガリ食べたり、日本にいる家族にLINEしたり。完徹になってしまっていたのでウツラウツラ居眠りも。麻酔の追加を自分でできるボタンがあり、少しでも違和感があればカチカチ!もちろん危険な量は入らないように調整されています。

AM10:00 気づかぬうちに赤子の頭が覗く。
様子を見に来たナースがワーオ!と。なんでも羊水に包まれた頭が股から覗いていたそう。夫に「見てごらんなさい!ほら髪の毛よ!」などとこれまたラフに話しかけ、夫もマタグラでワーオ!などと応えている。この、キラキラと膜に包まれた状態で頭が覗くのを幸運の証だとかなんとか言っていた気もするが定かではない。GBSのペニシリンを追加しなければならず急ピッチで投与される。せっかくお腹には順調に麻酔が効いているのに、この点滴が地味に痛い。てかもう産道通ってきちゃってるけど意味あるのかどうか。

AM10:30 いきみ開始。
仰向けになり足首を掴むよう指示される。このスタイルはちょっと新鮮。自分では陣痛の波が全く分からないため、ナースやドクターがモニターに合わせて声がけしてくれる。麻痺してるため力の入れ具合が難しい。長男出産時に連呼された「かったいウ○チを出すようにぃぃぃ!!!」という助産師さんの絶叫を思い出しながらいきんでみる。「グードグード!ビユーテホー!パアフェエク!」などと褒め続けてくれた。結構上手くできていたらしい。途中、談笑しすぎてモニターの波を見逃す、などの珍事も(笑)。

AM10:44 無事出産!次男お誕生日おめでとう!
本当に出たんですかというほどの無感覚。少し酸素が足りていなかった?のか紫色が濃く、産声を上げるのに少々時間がかかった。スタッフもバタバタしてて不安だったけど結果的には問題なかった様子。新生児の洗浄や測定も全て同室で行われた。前回会陰切開していた傷のところが若干裂けたとのことで縫合。アメリカでは切開よりも自然に裂けたほうが治りが早いとされているそう。2人目だから伸びもいいかも?と事前に言われておりそれに従った。諸々の処理を終えてカンガルーケア。

病院の食事は決まった時間に出されるものはなく、メニュー表が渡されて好きな時に電話で注文する、ルームサービスみたいなもの。空腹に襲われてフルーツやサンドイッチを大量に平らげた。2時間ほど過ごした後、入院の病棟に車椅子で移動し2泊3日の入院生活を過ごした。

長男出産時「なんとなく、やめとく」と言って立会いをしなかった夫。それがここでは妻の頭側から手を握って見守りましょう〜なんて生易しいもんじゃなく、その過程の全てを、終始、しかも足側から見る事となった。彼にとってもなかなか針を振り切った経験だったのではないかな。聞けばアドレナリンが出て、全然大丈夫だったとのことで一安心。


日本での自然分娩、アメリカでの無痛分娩、それぞれに思い出深く貴重な体験となりました。何より、二人とも元気に産まれてくれたことが本当にありがたく。関わってくれた全ての周囲に心より感謝です。


アメリカ妊婦健診の記録
2015年12月08日 (火) | 編集 |
今更ですが妊婦健診の記録〜
記憶は曖昧ですけれど〜


ちいは32w0d、すなわち妊娠9ヶ月ちょうどの日にこちらに引っ越しました。
この街で日本人の妊婦さんといえば!と必ず名前の上がる、日本語が話せるハーフのドクターがいるのですが、週数が進みすぎていたため受け付けてもらえず。
夫は英語が堪能ですが、医療用語はまた別問題。途方に暮れていたところ、夫の会社同僚でこの6月に出産したばかりという方が病院を紹介してくれました。担当は、穏やかなおばさまドクターS。もちろん日本語なんて話せませんが、ここでは外国人に必ず無料で通訳をつけるのが法律で決まっているとのこと。結局、分娩はその時に待機している別のドクターになるわけだし、言葉に関してはまったく問題ありませんでした。

このドクターS、アクアマリンのような薄いブルーの目をガッと開いてこちらを見据え、ゆった〜りやさし〜く話してくださいます。ちいは言葉が半分理解できないことも手伝って、いつもその瞳の奥に引き込まれて催眠術でもかけられたように気持ちよ〜くなっていました。9ヶ月のデカ腹抱えてハジメマシテーニホンカラキマシターという無鉄砲な患者を気にかけ、本当に親切に指導していただき感謝しています。

出産まで健診は計5回。毎回の超音波はなく、体重測定と尿検査、古そうな機械で心音を聞くのみ。アメリカでは妊娠初期と中期の2度だけ、徹底的に超音波をするのだそう。ちいはすでに後期に入っていましたがこちらでの記録が無いため1度見ていただけることに。

2015.8.21 32w5d 初診
乳がんの病歴はもちろん、ドラッグ使用歴、アルコール、タバコ、メンタル…とかなり細かい問診がありました。無痛分娩の希望を確認。割礼をするかどうか決めておくように言われました。ビタミンと鉄のサプリ接種の指導あり。この国の人達、サプリが大好き。
体重に関して、すでにかなり肥えていたし赤ちゃんも大きめと日本で言われていたのですが、ドクター曰く「あなたはすごく痩せているし、赤ちゃんもごく標準じゃないのか」と…
日本だと「プラス何キロまでしか太ってはダメ」と指導されますね。が、通訳さんに聞いたところ、こちらでは「プラス何キロ以上は必ず太って」という言い回しになるそう。健診に訪れるビッグな妊婦さんを見てると感覚マヒする〜

2015.9.4 32w6d Tdap(3種混合ワクチン)接種、超音波検査
赤ちゃんの内臓全てから、手足と指の数、骨格など…小一時間かけて全身をじっくり確認して写真を撮っていきます。すでに大きくなりすぎていて右手が見えなかったそうです(だからまだサイズの小さい中期に本来は行うのですね)。3種混合は日本の妊婦さんには無いかな?こちらでは百日咳の流行が懸念されていて、母体と共に胎児にも移行するように接種が推奨されているらしいです。同居の家族、うちの場合は夫も接種を勧められ、後日そこら辺のドラッグストアで打ってもらっていました。お手軽クスリ大国。

2015.9.11 35w6d インフルエンザ接種 内診あり
子宮口1cmと言われ焦りました…え、予定日まで1ヶ月あるんですけど、もう??聞くと第2子であれば早くから子宮口が開き始めるのは自然なこととのこと。

2015.9.18 36w6d GBS陽性の結果がでる
この日、いつものドクターSはお休み。代わりに診ていただいたのは眉間にシワのよった見るからに厳しそうなおばさま。産前産後のヘルプ要員について問い正され、なんとかなるだろーと何の人員手配も整えていなかった私はものすごい勢いでその準備の悪さを咎められました。「突然陣痛くるけど、どうするの?は?自分で運転?破水してたら運転なんか出来ないでしょーが。え?夫が運転?上の子どうするの?まさか1歳の子連れてくる気じゃないでしょうね。あなた言葉も不自由なのに何考えてるの!!早く上の子を見てくれる人を呼びなさい!!!」と…今思い出しても身震いするほど怖かったです笑。その会話全てを訳さなければならなかった通訳さんまでブルーになってしまい、二人して落ち込み、「あんな言い方しなくてもいいのにね…」と励まし合いました笑。しかし、内容はごもっとも。これがカンフル剤となって、心を改め、義母に早めにこちらに来てもらうことになり、結果的に大正解となるのでした…

GBS(B群溶連菌)は長男の時は陰性だったのですが、今回は陽性が出てしまいました。分娩時にペニシリンを投与することで赤ちゃんへの感染を防ぐことができます。

2015.9.24 37w5d
子宮口1cmで予定日(10月10日)に変更なし。ただ、2人目の出産というのは往々にしてトリッキー。自分でおかしいなと思ったらいつでも連絡し、病院に来なさいとのこと。もしそれで家に帰ることになっても何も恥じることではないのだから、と。
ああ癒しのドクターS!

で、確かにトリッキーに!

残り2回の健診予約を残しこの1週間後に分娩と相成りましたとさ〜

こちらに来る前は、いい加減な健診しかしてくれないのだろうというイメージで不安が大きかったのですが、完全予約で待たされることもなく(日本だと1時間待ちはザラ)ドクターもナースも本当にフレンドリーで内容もきめ細か、通うのがすごく楽しみでした。
38w5d 奇襲攻撃
2015年11月06日 (金) | 編集 |
可愛さとしんどさと寝不足具合と…

ご報告遅くなりましたが
2015.10.1 AM10:41 3240g(7lb 2.3oz)
元気に次男が生まれております

長男の時も初産なのに5日早まっていました
日本の産婦人科の先生には
「その人特有の生み月というのがあるんだよね(だから早まるタイプかもね)」
と言われていたうえ

今回は妊娠9ヶ月での海外引越がありました
生む3日前には船便が100箱届いて(棒)必死の開梱作業が続きました
だって疲労困憊で退院して段ボールハウスなんてイヤ過ぎるし!!

そりゃお産も進みますわね
子供、ガンガン降りてきますわね

それとなく覚悟をしていたつもりなのですが
いつもの楽観ズボラ癖で大した準備も整っておらず…
突然夜中に訪れた陣痛からの、相当なドタバタ出産となりました

まあでも、きちんと正期産なわけで
頑張ってお腹の中にいてくれた方ですね!ありがとう息子!

あまりにも違う日本とアメリカの医療事情
検診から出産の記録もフレッシュなうちに残したいのですが
今の私には全てにおいて余裕がない〜♫いつできるかな〜♫

それにしても無痛分娩はパラダイスでした
楽しかった!
痛みとしては、頑固な便秘を解消する方がよほど大変かも

長男の時の36時間ってやはり産後の心身に相当なダメージを残したので
あの、人格を崩壊させる、女を獣に変える(?)陣痛たるものを
一瞬で取り去ってくれた麻酔科医はまさに救世主、神に見えたよね〜

IMG_0272.jpgこれでもかって位ギュウギュウ笑
入院中、ずっとです!胎内の雰囲気?で安心できるそう…ほんまかいな
頭から体温が逃げるとされているとの事でお帽子も

ところ変われば、ですね

混乱の我が家にやって来た第5のオトコ(上は夫、オス猫2匹、長男)よ
いろいろ大変だったけどよく頑張った!元気に生まれてきてくれてありがとう!
折角なのでとミドルネームを考えてみたけれど、間に合わなくてごめんね!笑

また引越しました
2015年08月27日 (木) | 編集 |
今、ちいはアメリカの某都市にいます
旅行ではありません…
夫の転勤に伴い、新築1年、妊娠9ヶ月、息子1歳半、猫2匹
東京の記録的猛暑の中、お引越ししてきたのです‼︎

期間は未定です
数年単位になるのでしょう

正式に決定したのは5月頃かな?
もともと、海外転勤の可能性はあり、拒否はしないというスタンスでした
しかし時代に逆行し「今じゃないでしょ!」がちいの第一声だったよね…

まあでも、どんなタイミングであっても良し悪しがあるのだろうと考え直し

一番の心配事である出産に関してもかなり悩みましたが
産後の疲労と混乱を思い返すとそこでの引越こそ現実的とは思えず
小動物の頭数が1匹でも少ないうちに動こうと決めたのでした

フライトの日がちょうど妊娠9m0d
こちらにきて、約10日が経ち、ようやく時差ぼけが取れたかな?

本当に、ここ数ヶ月、肉体的精神的にバタバタしました!
いやでも、逆に先の事を考えるのが面倒すぎて、現実逃避ばかりしてた気もします

良い子は真似しないで欲しいけど、でも、結構無茶できるものですな
基本、頑丈にできてるんでしょうな

先週、産婦人科のドクターともお会いでき、今は少しホッとしているところです

アメリカの生活についても、少しずつ記録していけると良いのですが



こちらにきたストレスを軽減してくれているのは、爽やかに乾いた青い空
そしてオーガニックが盛んな土地柄でとにかく野菜や果物が美味しいということ!
スーパーで容易く購入でき、ファーマーズマーケットもそこかしこ

息子の食べ物に関しては、日本でちいなりに気を配ってきたつもりなので
こちらの食糧事情を心配していましたが杞憂でした
オーガニックがすべての解決策ではないにせよ意識が高いのは有難いこと

見たこともない青菜でスープ作ったりしてますが息子も喜んで食べてくれます
乾物や出汁関係は日本が一番だろうと、たくさん持ってきた甲斐がありました

明日の朝食は、お出汁で煮たケールです笑

課題はやはり日本の心・お米(ほとんどカルフォルニア産の日本米)かな〜
納豆やお豆腐もあるにはあるけど…うーん何かが違うという感じ
タンパク質はいろいろ工夫が必要そうです

余談ですが、グラノーラやナッツ系、チョコレートなんかも美味しすぎ…
日本であれだけセーブしてたのにサッサと解禁してしまい
いま、どれだけ肥えてしまったのかしら…
病院で体重計ったけど、kg単位じゃないからよく解らなかった…

shu_20150827145424bed.jpg美味しそう!
奥の緑はこちらでもshishito表記で売られていました
オリーブオイルでさっと炒めて美味しいお塩振りかけて
スペインで食べたピミエンタス風にすると最高です!

ビールが飲めれば文句ないけど、いましばらく我慢です

そんなわけで、鈍い更新となりましたが今後ともよろしくお願いします

2人目不妊治療② 陽性判定~卒業まで
2015年04月09日 (木) | 編集 |
2015年1月29日 生理27日目
妊娠判定

■E2...161 P4...35.6 β-HCG...68.5
陽性デター!

移植時にネガティブになってたとはいえ、もちろん、期待が無かったわけではありません
がんばって胚盤胞まで育ったのだから、この先も生かしてあげたい
でも息子が誕生してくれたこともあり、もし2人目もうまくいくのであれば
それは本当に本当にサプライズギフトのようなものなのだと
駄目だった時の保険で自分を制する日々でした

ゆえに、いつものように、まるで何ごとも起こっていないかのように淡々と
Dr 「はい、陽性出てますよ。」と言われた時には、思わず力が抜け
ち 「○○○(クリニックの愛称)ってすごいですね…」と低音で呟いていました

<お会計>
13,600円
うち膣座薬代が6,600円!!!高いなチクショー

でも黄体ホルモンの数値の安定がもはや自力なのか薬のおかげなのか不明なので
続けないといけないらしいです

2015年2月8日 妊娠5w1d
胎嚢確認
血液検査→内診

■P4...30.0

エコー写真にはサイズ?9.7mmとの記載有

<お会計>
15,000円
うち膣座薬代が9000円!!チクショー

2015年2月14日 妊娠6w0d
甲状腺病院

■TSH...1.94

よし!下がった!(2,5以下が望ましい)と思いきや、下がり方イマイチ、とのこと
結局チラーヂン増量…

<お会計>
2,750円

2015年2月22日 妊娠7w1d
心拍確認 問題なし
血液検査→内診

■P4...33.5

<お会計>
10,200円
うち膣座薬代が4200円!!まだ継続か~もう諦めはいる

2015年3月2日 妊娠8w2d
膣座薬の効果見極めのため通常より通院が増えております…
血液検査→内診

■P4...34.8
ようやく膣座薬終了のお達し
まあるい卵黄嚢がきれいにエコーにうつっていました

<お会計>
6,000円
あら安いと感じる自分が怖い

2015年3月9日 妊娠9w2d
クリニック卒業!

■P4...28.9
エコーが秒殺だったので、心拍がよく見えず
ち 「あの…心臓ちゃんと動いてましたでしょうか?」
Dr 「あ、よく見えませんでしたか?体自体もバタバタ動いてましたよ」

ホッ

前回もですが、特に卒業おめでとう!的うきうきセレモニーは無く
淡々と希望の産院を聞かれ、紹介状をいただきます
また妊娠中期と産後に送る経過アンケート用紙などの事務説明があり
怒涛の約2ヶ月、もとい、私の不妊治療はこれですべて終わりました

<お会計>
9,300円

<再開後のクリニックおよび甲状腺病院累計>
206,111円

<治療合計>
1,168,698円

これに凍結胚の保存料が半年で2万弱必要
2013年5月に凍結が確認できているので…7-8万でしょうか?
かつて地元のクリニックでタイミング療法を受けていたとき10万くらいかけた?かな
(どんぶりですみません)

2人授かるのにだ~いたいですが、130-140万くらいですかね
確かに高い(実際、大変)けど、息子のことを考えるとお金に代えられないと感じるし
こればかりは個々人の価値観で行動するしかないということで…
運命を受け止め、周りに感謝し、日々を大切に過ごして行こうと思います!

2人目不妊治療① 再開~移植まで
2015年04月08日 (水) | 編集 |
2015年1月14日 生理12日目
不妊クリニック再開初日
子宮頸がん検診結果および風疹抗体の最新結果の持参指示あり
(息子の産院にて2014年末にシロ確定済み)

多項目の血液検査あり その中で引っかかってしまったのが
■TSH(甲状腺刺激ホルモン)...2.7

基準値は 0.2~4.5 で普通に生活する分にはまっっったく問題ないのですが
妊娠希望の女性は2.5以下が望ましく、それ以上だと流産の確率が上がるとのこと

ち 「え?これまで指摘されたことがないのですが?!」
Dr 「最近注目されている検査です。うちでも取り入れたのは最近ですけどね」

甲状腺専門病院の紹介状が出る

<お会計>
保険外 15,087円
保険内 4,670円

2015年1月16日 生理14日目
甲状腺専門病院 初診

この病院、おしゃれストリートのど真ん中にあってその存在は知っていたのですが
ちいは失礼ながらずっと、頑固に立ち退かない古い個人病院?位に思ってた…
どっこい日本でも甲状腺といえばココ!というほどの有名病院なのですね
老若男女の患者さんであふれてました

問診で、「昆布をものすごく食べてたりしますか?」と聞かれたけど…
ものすごい量の昆布って基準がまったく分からず答えに窮しました

要はヨード?が良くないらしく、イソジンとかも使わないでね、とのこと

■TSH...2.74 とクリニックの数値とほぼ一致
チラーヂン処方

ち 「この後胚盤胞移植が控えていますが服薬に問題は無いのですか?」
Dr 「まったく。むしろ赤ちゃんの成長を助けます」

<お会計>
7,620円

2015年1月17日 生理15日目
クリニックにて排卵予測
血液検査→内診→問診

■E2...65 LH...30.0 P4...1.2

移植日が決定する

2015年1月22日 生理20日目
凍結胚盤胞移植
血液検査→医師問診→培養師問診→移植

■E2...108 P4...10.6
P4(黄体ホルモン)低、11以上が望ましい→膣座薬処方(これめんどくさ%$&##7…)

■移植する胚のグレード 115-140-1-18-1-A
胚盤胞が確認できたときの時間-115
最終観察時、または凍結できた時間-140
アシステッドハッチングの有無-1(AH有)
観察時または凍結時の胚盤胞の大きさ-18
胚盤胞の形態的評価-1(とても良い)
年齢、発育速度、形態的評価を考慮した総合評価-A(とても良い)


色:青 OV:4,5 子宮内膜:7mm
胚はとても良い状態のものらしく一安心

ただ息子の時と大きく違うのが
アシステッドハッチング(透明体除去)が必要だったこと(これで+2万ね)
私の子宮内膜が今回7mm…息子のときは10mmだったからチョイ薄くない?
黄体ホルモン低、甲状腺ホルモン高、改善の為になんだかクスリまみれじゃん

なにかと自分のコンディションが悪い気がして思考はネガティブループに…

それでも息子を授けてくれた神クリニックが移植にGOを出すのだから
問題ないはずなのだ、と自分に言い聞かせました

<お会計>
125,604円
6,480円(胚保存料2ヶ月分)

通常は半年に1度かな?保存料金の振込用紙が送られてきていました
これはこちらから破棄の連絡をせずにお金を払えば、永遠に-196℃で眠り続けます
そして再びの妊婦
2015年04月05日 (日) | 編集 |
現在、妊娠4ヶ月となりました

年明けから不妊のクリニックを再開し、凍結保存していた胚盤胞を移植
理論上は息子との二卵性双生児?!が無事に着床してくれました
(同時に取れた卵子だったのでね…)

黄体ホルモン足りないとか甲状腺ホルモン高くて駄目とか、いろいろあって
服薬しつつ今日現在までなんとか妊娠継続中です

息子の時に5ヶ月まで結構しんどかったつわり
嘔吐さえなかったものの、常にウェプウェプとこみ上げて
横になろうものなら天井がグルグル回り身の置き場の無いあの感じ

それが今回は胃もたれ程度で逆に心配になるほど軽く済んでいて、
まあ無いに越したことはないらしいので助かってはいます

年の差の計算などタイミングを見計らったのか?とよく聞かれるのですが

いいえ、まったく~

そもそも、望んだときに計画的に妊娠できないから治療に通ったわけだし
一番しっくり来るのは「いい歳だから早目にしとくか」って感覚的なところ

悲しいかな母乳がうまくいかず産後3ヶ月であっという間に生理が戻ってしまい、
その後は周期も量もトントン整って…

クリニックには残りひとつ胚盤胞が眠っていることは分かっていて
いずれかのタイミングで必ずお迎えに行くことは決めていたので
産後6ヶ月位の時ににクリニックに電話をかけ
どのようなタイミングで通院再開すればよいのか確認

希望周期の生理12日目に来院するよう指示を受けていました

2014年末は風邪をこじらせて喘息気味になったりと体調が整わず見送り
お正月は呑みたいしなっ!と言い訳しつつ(あれ、タイミング見計らってる??)

2015年1月14日に再通院を始めました

備忘録としての通院記録も次回より簡単にまとめておきたいと思っております


写真[1]
息子は2月に無事に1歳を迎えました
はやい~~
小さな心配ごとは絶えず、1日1日を乗り切る感じですがおおむね元気!
靴を履いてのあんよも上手になり、母さんは芝生を求めて日々徘徊中~


遺伝性乳がん・卵巣がん遺伝子検査をうけた
2015年02月22日 (日) | 編集 |
昨年10月、もろもろの経緯ときっかけあって
遺伝性乳がん・卵巣がんの検査を受けていました
一般的には、アンジーの検査って言えば分かりやすいのかしら

罹患当時からBRCA1/2変異陽性疑い満載だったちいの乳がん
これは間違いないと思い込んで早8年以上
(この辺の記事でもチラッと触れています→アンジーの件でわしも考えた
ついにやつの本質に迫るチャンスがやってきたかと若干高揚(すみません)

乳がんはもうやっちまったわけなのでこのまま経過をしっかりみていくこととしても
40過ぎたら卵巣の予防的切除なども考えようかなー!
でも100万か~高いな~~貯金だな~~~などとグルグルする日々

カウンセリングを受けていく中、医師から
遺伝子情報とは究極のプライバシー/個人情報、
ただ日本では保険や雇用などで受けるかもしれない差別のようなものを
禁止する法律が無いので、軽々しく人に話すことでは無い…というような
アドバイスをいただいたのですが

あのね、結果、陰性だったから別にブログに書いていいよね

ま~さ~か~の~オリジナルがんだったのね

でも、怪しさ満載なのに陰性というちいみたいな人はグレーゾーンに属するらしく
(遺伝性乳がんのうち約50%がBRCA1、30%がBRCA2、後の20%がグレーとなるらしい)
既にBRCA1/2以外に判明しつつある遺伝子変異も3つほどあるそうで
ちいの情報は今後も保存・解析・研究され、なにか判明すれば連絡をくださるそうです
おお1ヶ月くらいで電話でもくるのかと思ったら、「3年ほどかかる場合も」とのことで

もうその頃には採血したことすら忘れていそうです

陰性だったことで一気に熱が冷めたので、詳しい情報を知りたい方はこちらを参考に
→遺伝性乳がん・卵巣がん症候群(HBOC)の情報サイト

家族も「へぇ~、それは…よかった…???んだよね???」と困惑気味
まあ25万近くかけてるわけですけど(汗)結果としては

○50%の確立で子供に遺伝する、BRCA1/2に関してその恐れが無くなった
→ちいのとこは息子だけど、男性に遺伝した場合、前立腺がんの確率があがる

○BRCA1陽性の場合70歳までに卵巣がんの確率40%、これが一般レベルまで下がった
→1%くらいに。でもママも卵巣がんだし、ちいの場合3%とかもう少し高いかも
それでも予防的切除を考えるほどではない数値

○陽性だった場合、3ヶ月に一回など結構な頻度で卵巣チェックのため通院
その必要性が無くなった

ということなのでね…うーむ
ちい的に正体不明ってのはモヤッとポイントだからどちらが良かったとは言えないかな~

というなぞのご報告でした!!!

※医師とのざっくりした会話とその記憶を元にした記事なので鵜呑みにせず
検査や数値の詳細は各自信頼できる情報にあたってくださいネ!
拙ブログに起因する不都合には一切の責任を負いませんのでご了承ください
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