乳がんと、その後の日々のこと。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

石巻ボランティア⑨ まとめ
2012年01月04日 (水) | 編集 |
ご挨拶が遅れましたが
あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

年内にボランティア記事を終わらせたかったのに無理だった…
以下続き~


今回ボランティアに参加してみて分かったことは
そのハードルは低い!ということ

それまで東北に行くことはとっても過酷なことだと思っていました
ボの字もやったことなかったしね

でも、先人ボランティアさん達が頑張ってくれたおかげで
宿泊施設や食事は、これでも以前よりかなり整っているとのこと

床での寝袋生活とか、超寒い和式トイレしかないとかで
普段ヌクヌクしてるちいは、正直テンションダダ下がり

でもそれも!2日位で、すっかり慣れました~
寒い、作業でくさい汚いなども、なんだか、平気でした
人間は使命感があれば、順応性を発揮できるものです
自分にも、まだこういうことができるんだなぁと新鮮でした

アドレナリンというものなのか
そこまで疲れを感じることもなかったし…

何より、目的はひとつに一緒に作業するメンバーがいる事が大きいです

kaska2そりゃ最初は面食らいました
落ち着いておトイレにも入れなくて、便秘になったし…

初期のテント生活とか
作業グッズはおろか1週間の自分の食料全部用意していかないといけなかったとか
シャワーのない期間も長かったようですし(ヘドロ浴びっぱなしか…)
カスカでは、夏は大量のハエに悩まされていたとか聞くと
繋がれてきたボランティア活動、携わった何千何万の方に
本当に尊敬と感謝です
kasukaoutかつて奇跡と謳われたという
外の簡易シャワー
浴びればさっぱり生き返る!

1ヶ月に1回必ず週末に短期派遣で来ているとか
(これはかなりハード、だって、金曜の夜でて、土日作業して
月曜の早朝東京着ですよ…そして仕事に行くんですと…スゴーー!)

企業で派遣してきているところも多いみたいだし
(ちいと同じ出発日でも、某外資系広告代理店チームが15名位)
高校野球の有名校チームも来ていたし
年齢もバックグラウンドも本当に様々

もちろん、自己完結できることは大前提なんですが
そこまでいきまなくても
少しでも力になれるかな、なりたいなと考える人に
それを受け入れてくれる場所がある事を知りました


真の復興はこれから

年末には沢山の報道番組で津波の映像が流れましたが…
現地の方々は、私達の記憶が薄れていくことを危惧しているようでした

長い長い年月がかかるであろう復興に
それぞれの立場でできることを継続して実行していかないといけません


最後に

作業中に差し入れやお心遣いを下さった現地の皆様

コンビニで買い物したら店員さんが
「寒い中ありがとうございます」

銭湯でジェットバス腰に当てて必死に回復をはかっていたら
おばちゃんに話しかけられて「まあ東京からなの!ありがとうね~」

たった一週間なのに
沢山の「ありがとう」をいただいてしまいました
ちいはいつも、うまいリアクションがとれませんでした
だって恐縮すぎる…

皆様のあたたかい言葉をずっと大切に持っていきます
街や家や工場はもちろんのこと
被災者の皆様の「心」が癒される日が一日も早くやってきますように
スポンサーサイト
石巻ボランティア⑧ ホタテ拾い
2011年12月30日 (金) | 編集 |
【23日(金)】

作業最終日
この日は雄勝町でホタテ貝拾い
これだけ聞いて、またちいはビーチコーミング的な文科系作業を思い描きましたが

海沿いの雄勝町
強風の中で飛び散る鼻水もそのままの体育会系貝集めでした
ogatsu一面にホタテホタテホタテ

ogatu2
割れの少ないもの、穴の開いていないもの、大きなサイズのものを
選んで集めていきます
総勢20人位での作業でしたが、拾っても拾っても終わりが見えない
とても根気のいる作業です

なぜホタテ貝を集める???
ちいも知らなかったのですが、牡蛎の養殖にホタテ貝が使われるそう

そのホタテ貝を大きく育てるのにも数年かかるそうで
流された中からせめてまだ使えるものを集める必要があるのですね
しかもこの養殖場で働く人はおじいちゃん1人とおばあちゃん2人…

雄勝町はニュースなどでは「ひとつの街が消えた」と伝えられたほど
被害の甚大だった場所

また美味しい牡蛎が育ちますように、と願いながら泥まみれのホタテを
集めました

その後、近くの中学校で開催されていた「復興市」を覗きに行きました
海産物が並んだり、地元有名人の出し物があったりと
ワイワイと楽しい雰囲気
kitakami

ステージで歌い踊る石巻の美少女ユニット
「巻っ娘V」(まきっこファイブ)を見つめながら

ああ今日で最後なんだ、と
充実感と、淋しさと、まだまだできる事はあると引き締まる思いと
こういう機会を持てたことへの感謝と
海と共に生きてきた街が、海の脅威に呑み込まれてしまった事へのやるせなさ
そこでまた立ち上がろうとする皆さんへの心からの応援の気持ち

本当に複雑な、様々な感情が沸いてきました
makikko第2期生が入って
今は7人体制の巻っ娘V(ファイブ)…

夕方カスカに戻り、使用した「フル装備」品を洗浄した後
締めに皆でまたもや銭湯に行きました!

その後、この日の夜に帰るグループの方々と一緒に
「帰りの会」に参加
各グループの作業や、そこで感じたことの振り返り、
改めて私たちに何ができるか、の意見交換、写真撮影
ピースボート関連グッズの販売会 などが行われました

【24日(土)】

出発は11時でそれまで片付けや掃除位しかすることは無いので
少しゆっくり寝れるかもね~なんて言いながら眠りに着きましたが…

なんと年内最後の短期ボランティアメンバーが5時50分に到着されました!!!
クリスマスに、ご苦労様でございます…
そんなわけでやはり天然目覚ましにて起床(笑)

メンバーと朝食をとり、荷物をまとめて予定通りに11時出発
拠点の違うメンバーとは違うバスだったので
行きと違って帰りは非常に余裕のある座席割り
1人あたり2シート使える贅沢さで、寝たり本を読んだりしながら
約6時間かけ高田馬場に戻りました~

1週間ぶりの東京も新鮮でした

石巻ボランティア⑦ コミュニティ畑作り
2011年12月29日 (木) | 編集 |
【22日(木)】

おお~遂に、雪が積もった!
yukinomaki

あまりに天候が悪いと待機になってしまうのですが
ひとまずラジオ体操
yukinomaki2ブルブル…

この日は、牡鹿半島の給分浜でコミュニティ畑作り予定

この浜は75世帯ほどの小さな集落ですが、その3分の2が津波で
家を流されてしまったそう

今は小高い場所に仮設住宅が建っています

石巻から1時間弱で浜に到着、雪は、こちらでは降らなかったよう

班は2つに分かれて、一方は畑の整地
hatake

もう一方は、この畑を囲むブロック塀のペンキ塗り
及び、仮設の皆さんがお茶できるようテーブルと椅子もカラフルに
block
ちいはまたもペイント班になってしまい
このボランティアではすっかり刷毛の使い方をマスターしました笑

作業に入る前、初めて、仮設の訪問をしました
畑を作ることのPRと、小さいお子さんがいればペイントを一緒に!
と呼びかけます

最初からこのプロジェクトを行っている長期ボランティアのリーダーも
仮設訪問は初めてとのこと
大事な第一歩の日です

皆さんは、あたたかく迎えてくださいましたが
子供さんがこの日、出てきてくれることはありませんでした
それでも、外でペイントしていると
「カラフルだねー、何してるのー」と
通りすがるおじいちゃんおばあちゃんが声をかけてくれます

農業をされているおばあちゃんには、畑に何を植えたらいいか
教えてもらいます

方言がきつくて、聞き取りに難儀!!
なんとなく、心で繋がる感じ!!

どうやらこの季節から植えられるものは無いとのことで
畑を整えながら、春になる頃まで
何度も何度も根気よく、ボランティアがコミュニケーションを
取っていく事が必須なのだろうなぁと思いました

こういう作業は1度では終わらない
繋げていくことが、本当に大事

子供の遊び場が一切無いため、今後は遊具を置くプランもあるそう

カラフルな畑で皆さんが集い、傍らで子供達が遊んで
大人はお茶して…

不安や緊張もあるであろう仮設での生活に少しでも
明るい光を届けられるコミュニティ畑ができますように

余談…
この畑の土地の持ち主さんは
浜でラーメン屋を営まれています
この日のランチは、ラ~~~~メ~~~~~ン!!!!
ramenうますぎー!

あたたかい、出来立てラーメンの染みること染みること
みんな黙々と一気に食べていました!
石巻ボランティア⑥ 個人宅クリーン
2011年12月27日 (火) | 編集 |
【21日(水)】

ジェットバスと温シップの効果で腰はだいぶ軽くなりました!
自分の回復力を少し褒めます

この日は、石巻中央の個人のお宅でクリーン作業
なんというか、一番、
私が抱いていたボランティア作業のイメージに近い感じ

床屋さんを営むお宅のようです
1階部分がほぼ壊滅
リフォーム前に、大工さんが入れるように泥やごみを出す必要が
あるとのことでした

私の印象だと
全壊全焼と言われるところは既に更地になっていて
被災したものの流されはしなかった、このようなお宅は
1階部分は柱や壁の一部を残して
すっぽりと抜けてしまっているところが多く見られた気がします

なので2階で暮らしている方も多くいらっしゃるようですが
耐震性や臭いや、寒さ対策の面で問題も多そうです…

天井にこびりついた泥や棚にたまったヘドロを落としてから
ほうきやデッキブラシでそれらを集め、土嚢袋に放り込んでいきます
一体何十個の土嚢ができたことでしょう

乾いた泥はサラサラで、ちょっと掃くとファンファン舞い上がります
防塵マスクとゴーグルが大活躍
というより、無いと肺がおかしくなるかもです

体の穴という穴に、泥と汗が入り込んだ感じです

鼻水も汗もそのままにみんな良く動くから
どんどんキレイになって行きます!
もとあった床が見えると感動を覚えます

この日もシャベル作業が続き、昨日以上に腰に負担があり
時々「グキーーー!」となるものの
すでにバカになっているのか昨日ほどのダメージは感じませんでした

最後に、ご主人が「またここに住みたくなったよぉ」と
笑顔でおっしゃってくださいました

参加したメンバー全員が充実感に包まれました

※個人宅なので、写真撮影は控えました。なんとなく。。

この日の作業後、日和山公園に連れて行って頂きました
よくこの高台から映した映像が報道でも使われるところです
hiyori1門脇方面
hiyori2旧北上川方面
この中州は、新興住宅地だったそうです…

震災の日、日和山へ上がった人は助かったそうです
あの寒い日に、体の弱いお年寄りも皆、急な坂を上がって…
眼下に津波をとらえ、どんな気持ちだったのかなぁ

皆で手を合わせていたら、雪が降ってきました
いつになく本格的な降りに、明日の作業大丈夫かな?と不安が募ります

夜、リーダーにいただいた温シップをまた貼って寝ました
石巻ボランティア⑤ 工場支援
2011年12月27日 (火) | 編集 |
【20日(火)】

この日は、缶詰工場「木の屋」さんへ
よくテレビでこの大きな缶詰オブジェが流れていますね
kinnoya津波で倒され
道路の真ん中に横たわっています

撤去するか残すかは、未定との事

作業は、「パレット洗浄」と事前説明を受けており
ちいは絵の具のパレットのようなごく小さなものを想像していましたが

これのことでした
kinoya2こびりついたヘドロがガチガチに

まずはヘラでヘドロを掻き落とし
最後にケルヒャーとデッキブラシで仕上げます
kinoya3
雪がちらつく中での水仕事
ケルヒャーバンバン浴びて、ヤッケに染み込んでいきます
明らかに中の綿ズボンに浸水してきていましたが
気づいた時は既に遅し

またパレット自体も結構な重量があるものを何枚も運んだため

猛烈に寒く、また完全に腰がイカれてしまいました…

こちらの工場は海に近く、ほぼ全壊
保管してあった缶詰100万個を流されてしまい
皆、呆然自失だったそう

そこへピースボートなどのボランティアが入って
70万個は回収ができたとの事でした
kinoya4

中にはこんなメッセージが入った缶詰も
kinoya7「出会いに感謝します」

缶詰は強くて、見た目は悪くなってしまっても
まだまだ中身は守られているものも多い

ランチ時に、「鯨の大和煮」「ひらめの縁側」「さば味噌煮」などの
缶詰を食べさせていただきました!

お湯が沸いていたので、残り汁にお湯を入れてスープまで
みんなで飲み干しました
工場のおっちゃん達が「そんなに旨いのかい??」と
笑っていらっしゃいましたが、ええ、本当に美味しかったのです

そして、お土産に持っていってと言って頂いたので
「鮭中骨」を頂いてきました!

この日、インターナショナルチームとの2班体制でパレット洗浄を
行い、全部で55枚を洗い上げました

なんと、これまでの記録45枚を大幅に上回る新記録とのこと!
いえいいえい!!

帰りのバスに乗って、一息ついて皆で顔を見合わせました
「クサ…」
そう、ヘドロをはがし、水を浴びたことで濡れた作業着は
とても芳しい~

ちいなんて、それが中のズボンまで染みちゃってるぽいんだから
どんだけ臭いのかなー アハハ

カスカに戻って、ズボンの替えが乏しいちいは
それをストーブの前で乾かしていたところ禁止事項だったらしく
「臭い!やめてください!」と怒られてしまいました

シュン
でもまあ集団生活ですから、ルールは守らないといけません

この日はチームの皆で、夜、歩いて20分位のところにある銭湯に行きました!
正直、まっすぐ歩けない位、腰がやられていましたが、
ジェットバスを当てて「腰よ、治って」とひたすら願いました

リーダーが心配し、温シップをくださったので
2枚張りしてストレッチ

夜も上を向いて寝るとナンともしんどく
「いてててて…」と言いながら目が何回か覚めました
石巻ボランティア④ 料亭オープン支援
2011年12月26日 (月) | 編集 |
17日~19日 喜八櫓オープン支援

【17日(土)】
夜行バスが着いた初日、準備を終えてラジオ体操が終わると
その日の作業が発表されます

ちい達は、料亭のオープン準備!

現地に長く滞在しているボランティアが、引率してくれます

事前の説明では

「石巻中央で被災した割烹料亭が、津波の来ない山奥の古民家を
買い取った。3月のオープンを目指しているのでその準備のお手伝い。
山奥だけに陽が11時から15時位までしか当たらないからちょっと寒い。」

との事。
ちいは鎌倉あたりの古民家再生、劇的ナントカみたいなものを想像し
どんな上品な場所で静々とお片付けするのかと思いきや…

着いてみたら、アレ???
kihachiroワイルド…
石巻では大工さんが圧倒的に不足しているとの事で
料理長 兼 社長さんが、まるで家作りの職人かのように
木を切ったり、ショベルカーを動かしたりしています

何でもできるオトコってカッコイイ~

この日のミッションは、机となる一枚板と
その足となる切り株のヤスリがけ
kihachi2
社長はとてもとても、こだわりの強い人で
目指すクオリティが半端なく高い

この机も、1日中やする作業を10日間位やらないといけないそう

サンダーの使い方を教わり、ひたすら木と向かい合います
黙々と、淡々と…修行僧のように精神統一されていきます

力作業ではないため、山間の寒さが堪えます
鉄の入った長靴が足先を大いに冷やしてくれます

途中のトイレ休憩では、手先がかじかみすぎてジーパンのボタンを
一人であけることができず、急いで外に出て
同じグループの20代女子に、前を開けてもらいました

「初めての経験です!」と言われました…そうでしょう、ごめんよ

お弁当の後、午後の作業に戻る前
社長がトンカチとカンナをカンカンしていたので見学してたら
「やってみっか?」と言われたので
若干やすりに疲れていたちいはふたつ返事でカンナ作業を引き継ぎました

3時半ごろ作業を終えて、全焼全壊地区の門脇へ
kadonowak門脇小学校
まずは皆で手を合わせます

ここでは裏の高台に生徒が逃げたので、犠牲者は出なかったそう
このまわりには、なんというか…
なにも、ありませんでした

すでに震災から9ヶ月が経過し、街の瓦礫などは撤去されています
そう、ところどころ倒壊のあとはあったり、地盤沈下は見受けられても
石巻はびっくりする位、キレイといえばキレイなんです

でも、その何もない更地は、実は住宅が密集していたそうで
要は、ちいが見てるのは全てが飲み込まれ、流された、その跡なんですよね…

足元を良く見ると、やかんとかお茶碗とか、CDや写真といった
家の中のものが散乱していました
ここに住んでいた皆さんの、日常が奪われたことをリアルに感じた瞬間でした

5時前にカスカへ帰宅
トイレ掃除担当班のちい達は
宿舎内のトイレと外の仮設トイレを掃除

夜ごはんはマーボー丼?のようなものを頂き
津波の被害やピースボートの活動を紹介するDVD上映会

しかし前の晩のバス睡眠から一睡もしておらず
加えて体が芯から冷え切ってだいぶ疲労していたため
ウツラウツラと寝てしまいました…

グッタリしすぎてシャワーを浴びる気にもなれず
22時、消灯
初めての寝袋で不安だったけど
どうにか寝れたし、毛布を数枚借りれたので寒さもしのげました

以下、長くなるので追記します

[READ MORE...]
石巻ボランティア③ 出発~荷解・準備
2011年12月26日 (月) | 編集 |
16(金)の21時15分、高田馬場に集合
広島から青春18切符でやってきたという大学生がチームに合流
これでちいのチームは

50代 男性(リーダー)
30代 男性(リピーター)
30代 女性(ちい)
20代 女性(休職中)
20代 男性(来春から新社会人の大学生)

の5人体制となりました
年齢・ジェンダー比もバランス良い感じ

最終的には、短期・長期・トレーニング参加者含めた92名が
バス3台で石巻に向かうことになりました

30分後には電気が消され、カーテンを閉めるよう指示があり
半ば強制的に睡眠をとるよう促されます
まあ、明朝からいきなり作業ですしね

2回の休憩を挟んで5時50分頃、宿泊拠点に到着
ピースボートは2箇所の拠点を持っていますが
ちい達の班はファッション工場の1階(通称カスカ)
こちらも被災して1階部分は浸水したところを
先人ボランティアさん達が掃除して、お借りしているとのこと
kaska

想像はしていたのですが。それを上回る簡素な施設にヒヨります
また、バスでヌクヌク心地よく眠っていたところを急に起こされ
まだ真っ暗かつ極寒の石巻に降り立ったことで
「始まってしまったのだ…」と絶望的な気持ちになりました

着いてから仮眠取れるかな♪なんて考えは大甘で
暖房もついていないさむーい室内で宿泊に関する全体説明
kaska2女子部屋。一応タタミが。
シートの向こうが男性部屋

その後、寝床を確保したら、作業用の「フル装備」の準備

フル装備とは
・ヘルメット ・防塵マスク ・防塵ゴーグル 
・作業用ヤッケ(ビニール製の作業着です)・ビブス(ゼッケン)
・作業用長靴(鉄製の中敷入り)・皮手袋 ・ゴム手袋 ・軍手

これらは、緊急支援時は各自持参だったようですが
今は全て宿泊場所に揃っていました
ありがたや

7時45分から、毎朝恒例のラジオ体操
日本人はあの音楽が流れれば条件反射で体が動きますが
インターナショナルチームは戸惑いを隠せない様子 笑

余談ですが、ピースボートボランティアの1割は外国籍の方だそう
日本語しゃべれない人を受け入れてくれる団体は少ないそうです

同じ日程で来ていたインターナショナルチームも
アメリカ・カナダ・ギリシャ・ドイツ…と国際色豊かでした
日本に滞在している人もいれば、わざわざこの為に来た人も

和式便所しかないけど大丈夫だろうか…
家族の人はオー!ホーシャノー!とか言わないんだろうか…
とにもかくにも、日本人として感謝・感心しきりです
石巻ボランティア② 説明会と事前準備
2011年12月26日 (月) | 編集 |
説明会は派遣次数ごとに分けて毎週行われているようです
ちいの時は幡ヶ谷のJICA東京の体育館を使って行われました

思ったより沢山の人が来ているなぁと言う印象
短期の人、インターナショナルの人、全部で100人位はいたのかなぁ?
日程を定めていない人も参加することはできます

現地の宿泊施設や作業内容などの概要を説明されたあと

「では周りの人と声を掛け合って5人のグループを作ってください。
男女比や年齢、経験の有無でバランスよく」
などとざっくり指示が

ちいと同じ日程を見込んでいる人が12人ほどいて
グッチョッパしたり年齢聞いたりして、ヌルっと班分け

地方からの参加もあるかもとのことで、4人ずつ、3つの班をつくりました

さらにその中からリーダーを決めて(一番年上の男性が引き受けてくださいました)
必要書類の記入、連絡先の交換などを行います

ちいのグループには一人だけリピーターの男性もいたのですが
基本、全員がはじめましてで要領も分からず、全てにおいてタドタドしく…

その後、セーフティレクチャーで2時間位と説明会は結構たっぷり

そこから出発までの1週間はリーダーが窓口となって
質問を取りまとめたり、ピースボートからの指示や情報を共有してくれます

作業に使う道具や作業着は現地でレンタルできるとの事でしたが
自分で持っていかないといけないものも多くて

・マイナス対応の寝袋、下にひくシート
・雨がっぱ
・新しいトレッキング靴(実際は必要なかった)
・ユニクロやアウトドアショップにて防寒グッズ、カイロ等も
・ウェットティッシュとか軍手とかの小物
・ボディシートなど洗面用具関係
・夕飯用のタッパーとか簡易食器、サランラップ
・電気の個人使用は禁止、電池式の携帯充電器

その他、朝食が出ないとの事でカロリーメイトとかおやつ
いろいろそろえていたら、結局数万の出費になってしまいましたぁ
1000円イエイって言ってる場合じゃなかったぁ

あとはボランティア保険に加入(必須事項です)し、準備完了

反対するかと思っていた夫も、案外すんなり受け入れてくれました

いざパッキングしてみたらかなりの大荷物になったこともあり
(大トランクひとつ、バックパック、ウェストポーチ大、全てパツパツ)
出発が近づくにつれ、私ほんとにやり切れるのかとブルーになりましたが
その時点で父や友人にもボランティアで留守の件を伝えていたので
いくいく詐欺になってはならない、という一心で金曜の夜を迎えました

石巻ボランティア① きっかけ
2011年12月26日 (月) | 編集 |
12月16日から24日まで
石巻の災害ボランティアに参加してきました

何から書こうかな…
33歳にして、新しい経験を積み、多くの気づきがありました

今回なぜボランティアに参加しようと思ったか、こちらでも現地でも
何度も聞かれました

でもワタクシ…本当に褒められたような思想は無いんです><

今年は3月1日付で異動をして、同時に責任が重くなっていました
直後に震災で会社自体が休業したりとバッタバタ!
無事に再開してからも自分のことしか考えていませんでした

災害の現地に入ってお手伝いなんて発想自体が無かったし
せいぜい寄付をすることが自分の精一杯と思って、そうしていました

ただその後、10末で仕事を辞めて、充電と称し専業主婦?に

ゆったりと過ごす環境で
社会における自分の存在意義を問うていました

そのようなタイミングで
「南三陸だけは個人ボランティアを受け入れています。
まだまだ人手が足りていません」
というような内容のツイッターを偶然に読みました

人手が必要なのであれば、時間のある人が行けば良いよなと
筆記試験も面接も無いのなら、ちいにも、すぐにでもできるなぁと

そんなわけで、父に車でも借りて、南三陸に行こうかなぁと
ぼんやり思い始めたのですが
車を運転し、ホテルを手配し、毎朝ボランティアセンターに一人で行って…
というのをやり切れるのか???

土地勘ゼロだし。基本的に根性ないし。
それに全部自己手配だと結構お金もかかりそう…

では、旅行社がツアーでも組んでいないか?
調べたところ色々な商品が出てきましたが
「最終日は観光つき!」で数万円

これは何となく、本来の目的から外れるなぁ…

そうして検索を重ねていたところ
ピースボートという国際交流の団体が
定期的にボランティア派遣をしている事を知りました

参加費1000円
2泊3日の短期から、ガッツリ1週間コースもある
何事も腰をすえて取り組むのが好きなちいに、1週間は理想的

探せば個人のブログで体験談なども読むことができ
早い時期に大変な状況下で参加した皆さんの充実感が伝わるものが多くあり
参加の方向に傾いていきました

それでも!
初めての経験で不安があったし
最終的に心が折れて、ボランティアいくいく詐欺になったら恥ずかしいし
夫は反対しそうな気がしたので、ギリギリまで誰にも言わないようにして
とりあえず電話で説明会に申し込みました

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。