乳がん6年生。その後の日々のこと。
2人目不妊治療② 陽性判定~卒業まで
2015年04月09日 (木) | 編集 |
2015年1月29日 生理27日目
妊娠判定

■E2...161 P4...35.6 β-HCG...68.5
陽性デター!

移植時にネガティブになってたとはいえ、もちろん、期待が無かったわけではありません
がんばって胚盤胞まで育ったのだから、この先も生かしてあげたい
でも息子が誕生してくれたこともあり、もし2人目もうまくいくのであれば
それは本当に本当にサプライズギフトのようなものなのだと
駄目だった時の保険で自分を制する日々でした

ゆえに、いつものように、まるで何ごとも起こっていないかのように淡々と
Dr 「はい、陽性出てますよ。」と言われた時には、思わず力が抜け
ち 「○○○(クリニックの愛称)ってすごいですね…」と低音で呟いていました

<お会計>
13,600円
うち膣座薬代が6,600円!!!高いなチクショー

でも黄体ホルモンの数値の安定がもはや自力なのか薬のおかげなのか不明なので
続けないといけないらしいです

2015年2月8日 妊娠5w1d
胎嚢確認
血液検査→内診

■P4...30.0

エコー写真にはサイズ?9.7mmとの記載有

<お会計>
15,000円
うち膣座薬代が9000円!!チクショー

2015年2月14日 妊娠6w0d
甲状腺病院

■TSH...1.94

よし!下がった!(2,5以下が望ましい)と思いきや、下がり方イマイチ、とのこと
結局チラーヂン増量…

<お会計>
2,750円

2015年2月22日 妊娠7w1d
心拍確認 問題なし
血液検査→内診

■P4...33.5

<お会計>
10,200円
うち膣座薬代が4200円!!まだ継続か~もう諦めはいる

2015年3月2日 妊娠8w2d
膣座薬の効果見極めのため通常より通院が増えております…
血液検査→内診

■P4...34.8
ようやく膣座薬終了のお達し
まあるい卵黄嚢がきれいにエコーにうつっていました

<お会計>
6,000円
あら安いと感じる自分が怖い

2015年3月9日 妊娠9w2d
クリニック卒業!

■P4...28.9
エコーが秒殺だったので、心拍がよく見えず
ち 「あの…心臓ちゃんと動いてましたでしょうか?」
Dr 「あ、よく見えませんでしたか?体自体もバタバタ動いてましたよ」

ホッ

前回もですが、特に卒業おめでとう!的うきうきセレモニーは無く
淡々と希望の産院を聞かれ、紹介状をいただきます
また妊娠中期と産後に送る経過アンケート用紙などの事務説明があり
怒涛の約2ヶ月、もとい、私の不妊治療はこれですべて終わりました

<お会計>
9,300円

<再開後のクリニックおよび甲状腺病院累計>
206,111円

<治療合計>
1,168,698円

これに凍結胚の保存料が半年で2万弱必要
2013年5月に凍結が確認できているので…7-8万でしょうか?
かつて地元のクリニックでタイミング療法を受けていたとき10万くらいかけた?かな
(どんぶりですみません)

2人授かるのにだ~いたいですが、130-140万くらいですかね
確かに高い(実際、大変)けど、息子のことを考えるとお金に代えられないと感じるし
こればかりは個々人の価値観で行動するしかないということで…
運命を受け止め、周りに感謝し、日々を大切に過ごして行こうと思います!

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2人目不妊治療① 再開~移植まで
2015年04月08日 (水) | 編集 |
2015年1月14日 生理12日目
不妊クリニック再開初日
子宮頸がん検診結果および風疹抗体の最新結果の持参指示あり
(息子の産院にて2014年末にシロ確定済み)

多項目の血液検査あり その中で引っかかってしまったのが
■TSH(甲状腺刺激ホルモン)...2.7

基準値は 0.2~4.5 で普通に生活する分にはまっっったく問題ないのですが
妊娠希望の女性は2.5以下が望ましく、それ以上だと流産の確率が上がるとのこと

ち 「え?これまで指摘されたことがないのですが?!」
Dr 「最近注目されている検査です。うちでも取り入れたのは最近ですけどね」

甲状腺専門病院の紹介状が出る

<お会計>
保険外 15,087円
保険内 4,670円

2015年1月16日 生理14日目
甲状腺専門病院 初診

この病院、おしゃれストリートのど真ん中にあってその存在は知っていたのですが
ちいは失礼ながらずっと、頑固に立ち退かない古い個人病院?位に思ってた…
どっこい日本でも甲状腺といえばココ!というほどの有名病院なのですね
老若男女の患者さんであふれてました

問診で、「昆布をものすごく食べてたりしますか?」と聞かれたけど…
ものすごい量の昆布って基準がまったく分からず答えに窮しました

要はヨード?が良くないらしく、イソジンとかも使わないでね、とのこと

■TSH...2.74 とクリニックの数値とほぼ一致
チラーヂン処方

ち 「この後胚盤胞移植が控えていますが服薬に問題は無いのですか?」
Dr 「まったく。むしろ赤ちゃんの成長を助けます」

<お会計>
7,620円

2015年1月17日 生理15日目
クリニックにて排卵予測
血液検査→内診→問診

■E2...65 LH...30.0 P4...1.2

移植日が決定する

2015年1月22日 生理20日目
凍結胚盤胞移植
血液検査→医師問診→培養師問診→移植

■E2...108 P4...10.6
P4(黄体ホルモン)低、11以上が望ましい→膣座薬処方(これめんどくさ%$&##7…)

■移植する胚のグレード 115-140-1-18-1-A
胚盤胞が確認できたときの時間-115
最終観察時、または凍結できた時間-140
アシステッドハッチングの有無-1(AH有)
観察時または凍結時の胚盤胞の大きさ-18
胚盤胞の形態的評価-1(とても良い)
年齢、発育速度、形態的評価を考慮した総合評価-A(とても良い)


色:青 OV:4,5 子宮内膜:7mm
胚はとても良い状態のものらしく一安心

ただ息子の時と大きく違うのが
アシステッドハッチング(透明体除去)が必要だったこと(これで+2万ね)
私の子宮内膜が今回7mm…息子のときは10mmだったからチョイ薄くない?
黄体ホルモン低、甲状腺ホルモン高、改善の為になんだかクスリまみれじゃん

なにかと自分のコンディションが悪い気がして思考はネガティブループに…

それでも息子を授けてくれた神クリニックが移植にGOを出すのだから
問題ないはずなのだ、と自分に言い聞かせました

<お会計>
125,604円
6,480円(胚保存料2ヶ月分)

通常は半年に1度かな?保存料金の振込用紙が送られてきていました
これはこちらから破棄の連絡をせずにお金を払えば、永遠に-196℃で眠り続けます
そして再びの妊婦
2015年04月05日 (日) | 編集 |
現在、妊娠4ヶ月となりました

年明けから不妊のクリニックを再開し、凍結保存していた胚盤胞を移植
理論上は息子との二卵性双生児?!が無事に着床してくれました
(同時に取れた卵子だったのでね…)

黄体ホルモン足りないとか甲状腺ホルモン高くて駄目とか、いろいろあって
服薬しつつ今日現在までなんとか妊娠継続中です

息子の時に5ヶ月まで結構しんどかったつわり
嘔吐さえなかったものの、常にウェプウェプとこみ上げて
横になろうものなら天井がグルグル回り身の置き場の無いあの感じ

それが今回は胃もたれ程度で逆に心配になるほど軽く済んでいて、
まあ無いに越したことはないらしいので助かってはいます

年の差の計算などタイミングを見計らったのか?とよく聞かれるのですが

いいえ、まったく~

そもそも、望んだときに計画的に妊娠できないから治療に通ったわけだし
一番しっくり来るのは「いい歳だから早目にしとくか」って感覚的なところ

悲しいかな母乳がうまくいかず産後3ヶ月であっという間に生理が戻ってしまい、
その後は周期も量もトントン整って…

クリニックには残りひとつ胚盤胞が眠っていることは分かっていて
いずれかのタイミングで必ずお迎えに行くことは決めていたので
産後6ヶ月位の時ににクリニックに電話をかけ
どのようなタイミングで通院再開すればよいのか確認

希望周期の生理12日目に来院するよう指示を受けていました

2014年末は風邪をこじらせて喘息気味になったりと体調が整わず見送り
お正月は呑みたいしなっ!と言い訳しつつ(あれ、タイミング見計らってる??)

2015年1月14日に再通院を始めました

備忘録としての通院記録も次回より簡単にまとめておきたいと思っております


写真[1]
息子は2月に無事に1歳を迎えました
はやい~~
小さな心配ごとは絶えず、1日1日を乗り切る感じですがおおむね元気!
靴を履いてのあんよも上手になり、母さんは芝生を求めて日々徘徊中~


遺伝性乳がん・卵巣がん遺伝子検査をうけた
2015年02月22日 (日) | 編集 |
昨年10月、もろもろの経緯ときっかけあって
遺伝性乳がん・卵巣がんの検査を受けていました
一般的には、アンジーの検査って言えば分かりやすいのかしら

罹患当時からBRCA1/2変異陽性疑い満載だったちいの乳がん
これは間違いないと思い込んで早8年以上
(この辺の記事でもチラッと触れています→アンジーの件でわしも考えた
ついにやつの本質に迫るチャンスがやってきたかと若干高揚(すみません)

乳がんはもうやっちまったわけなのでこのまま経過をしっかりみていくこととしても
40過ぎたら卵巣の予防的切除なども考えようかなー!
でも100万か~高いな~~貯金だな~~~などとグルグルする日々

カウンセリングを受けていく中、医師から
遺伝子情報とは究極のプライバシー/個人情報、
ただ日本では保険や雇用などで受けるかもしれない差別のようなものを
禁止する法律が無いので、軽々しく人に話すことでは無い…というような
アドバイスをいただいたのですが

あのね、結果、陰性だったから別にブログに書いていいよね

ま~さ~か~の~オリジナルがんだったのね

でも、怪しさ満載なのに陰性というちいみたいな人はグレーゾーンに属するらしく
(遺伝性乳がんのうち約50%がBRCA1、30%がBRCA2、後の20%がグレーとなるらしい)
既にBRCA1/2以外に判明しつつある遺伝子変異も3つほどあるそうで
ちいの情報は今後も保存・解析・研究され、なにか判明すれば連絡をくださるそうです
おお1ヶ月くらいで電話でもくるのかと思ったら、「3年ほどかかる場合も」とのことで

もうその頃には採血したことすら忘れていそうです

陰性だったことで一気に熱が冷めたので、詳しい情報を知りたい方はこちらを参考に
→遺伝性乳がん・卵巣がん症候群(HBOC)の情報サイト

家族も「へぇ~、それは…よかった…???んだよね???」と困惑気味
まあ25万近くかけてるわけですけど(汗)結果としては

○50%の確立で子供に遺伝する、BRCA1/2に関してその恐れが無くなった
→ちいのとこは息子だけど、男性に遺伝した場合、前立腺がんの確率があがる

○BRCA1陽性の場合70歳までに卵巣がんの確率40%、これが一般レベルまで下がった
→1%くらいに。でもママも卵巣がんだし、ちいの場合3%とかもう少し高いかも
それでも予防的切除を考えるほどではない数値

○陽性だった場合、3ヶ月に一回など結構な頻度で卵巣チェックのため通院
その必要性が無くなった

ということなのでね…うーむ
ちい的に正体不明ってのはモヤッとポイントだからどちらが良かったとは言えないかな~

というなぞのご報告でした!!!

※医師とのざっくりした会話とその記憶を元にした記事なので鵜呑みにせず
検査や数値の詳細は各自信頼できる情報にあたってくださいネ!
拙ブログに起因する不都合には一切の責任を負いませんのでご了承ください
2014年小旅行の記録
2015年01月25日 (日) | 編集 |
夏の友人宅BBQでカートに乗る息子!
コピー ~ zataku

夏っていつよ、と…すみません
ブログのアップを2014年の最終目標としていましたが

あっけなく年は明け、1月も終わってしまいそう…ふぅ~

あけましておめでとうございます?
寒中お見舞い申し上げます??
ちがうよね~てへ

出産前には、赤子連れの海外も意外とイケる、などと聞いていましたが
いざ企画の段になると荷物の多さを思って飛行機がどうしてもはばかられてしまい
国内、それも近場ばかりですが息子を連れてチョコチョコ旅行してました

そんな記録をサクッとまとめて

2014年9月 以前より念願の上高地へ!

妊娠前から山ブームが来ていた我が家
夫は息子を担いでアチコチ登ったりもしたいらしく、キャリーをゲット!
IMG_1932.jpg計20キロくらい?

松本市内の温泉旅館に2泊3日しました
雨が降ってしまいそれだけが残念でしたが、上高地、噂に違わぬ美しさ
そして歩きやすさ!だって舗装もされてるし、ほぼ傾斜ないから!

それでも夫の足腰はプルプルだったようです
本格的な山なんて夢のまた夢ですな

IMG_1961.jpg雲きれいでした

1日だけのつもりが、あまりに素晴らしくて2日間かけ上高地を堪能
東京に戻ったその日に、御嶽山のニュースが…
今後、山とどう向き合うべきか、改めて考えさせられました

2014年10月 じいじと伊豆へ、息子初めて海を見る

孫命のちい父が川奈の温泉に連れて行ってくれました
海を見せたい!とのことで
IMG_2058.jpg城ヶ崎をお散歩
吊橋あり灯台あり、迫力の絶景あり!
海はマイナスイオンの宝庫だね

父と夫の協力により
息子は初めて大浴場の温泉、それも露天風呂に入ることができました!
いつもツルツルだけど、ますます輝く赤子のお肌
ああ羨ましい…

2014年クリスマス 軽井沢へ
IMG_4894.jpgさむいー!

息子初めての雪景色!
思いつきでとった駅前の大型ホテルで期待値は高くなかったですが、ぜんぜん充分
子連れにはあのザワザワな感じが有難かったりもしました

ビュッフェで初めて大人の取り分けにチャレンジしてみたり!

離乳食も準備していきましたが、同じ食事から分けて食べられると
なんだかそれだけでえらく成長した感じ~
ちいも気が楽になるしね~

それにしても軽井沢、7割いや8割は、アジア系外国人客だったね
自分たちのほうが異国に来てるのかと思いました

大宮から45分の至近!で便利だし、アウトレットゆっくり見に行きたいな…無理かな…

・・・
うちでは猫たちと程よい距離感で共存してます
コピー ~ IMG_2200あったかいんだからぁ

特に猫としての自覚が無さそうなチム太とは…
IMG_2198.jpgスキスキー!!!

いくつか記事にしたいことが溜まっているのですがまた改めて
本年もよろしくお願いいたします




息子6ヶ月20日
2014年09月01日 (月) | 編集 |
shu6バリカンで3mmに…
だって放射状に髪が伸びてしまい、お友達に静電気?と言われるほどだったので(笑)



未だかつてないブログの放置具合ですが、ちいは生きてます

いやー、育児、意外とアイドリングタイムもあったりはするのですが
心に、なにかと余裕がないと言うかね!
産後は記憶力・集中力も相当低くすっかりぼけっとした人になってる気が

これいつか取り戻せるのでしょうか

7月末にはマンションから戸建に引越しまして
赤子1、猫2の小動物3匹を引き連れた酷暑の引越しでこれまた憔悴しきっておりました
今年は人生の大きなイベントこなしすぎてる気がします

ヨダレマンこと息子は今日で6m20d、各種検診も引っかかる事なく元気いっぱい
よく飲み、食べ、笑い、喋り、動き、寝て、あまり泣かず
親バカ以外のなにものでもないですが、よい子に育ってくれていると思います

4m18d 寝返り成功
5m14d 下の歯2本確認
6m6d 離乳食開始
6m10d 寝返り返り成功

今はまだ腰は座っていないのですが、絶賛ハイハイ練習中
四つん這いでお尻をフンフン振ってみたり
カエルのおもちゃのようにピョコピョコ飛んでわちゃわちゃ移動しています

または仰向けのまま、足を床にバンバン叩きつけつつ上げ下げすることも

その音は階下まで響き渡り、骨折しやしないか心配になるほど激しいです

なんだか面倒そう…と少し遅らせていた離乳食をやっとこさ開始してから
これまでの動きとは明らかに一線を画しています
食べる準備万端だったのね^^;

それにしても米力、パワーオブライス(なんじゃそりゃ)すごいです

shu7雨の清里
お友達の別荘にお邪魔させていただき、8月、息子初旅行!
ちいにとっても産後初の東京脱出、大自然に癒されました~
山歩きも徐々に復活したいなぁ
It's back!
2014年05月20日 (火) | 編集 |
子の生後3ヶ月6日で、月のものが戻りました
なんとも早い…一応、細々と母乳も続けているのに…

しかも、ガラスの十代を思い出すような大出血祭り~!!!

書いてて気付いたのですが、この名曲はアノ方の作詞作曲なのですね
ちいも中学生の頃など良く聴いていた世代ど真ん中なので残念です
かつて神と崇めたTKさんもクスリではないけど前科者だし、
才能のあり過ぎる人ってのは孤独で不安定だったりするんですかね

と、そんな話はどうでも良くて!!月のもの!!!

近年、特に乳がんでケモって以降は顕著に、とても出血が少なくなっていました
それはそれでラクでしたけれど、体の機能としてはあまり良い傾向ではなさそうだなと思っていました
(不妊治療の先生は、関係ないと仰っていましたけど)

そして産後の悪露と、それがようやく収まってからのオリモノ、これすごくストレスでした…
なんとも言えない独特のにおいがあるのですよね

ここでまたまた話は変わりますが
デブだのハゲだの、お前の母ちゃんデベソだの、人にダメージを与えるための言葉は数あれど
もっともキツイのが「クサイ」なんだそう、っていつか何かで読みました
(出典元が謎なので嘘かも)(でも確かに読んだので、信じてるんです)

なので私自身、よほどガマンできない時以外はこの単語は口にしないようにしてるし
まして自らを「クサイ」と認めるのは、いくら出産という大仕事の後とはいえ、なかなか辛いもの

が、正直に言おう!
産後、私はクサかった、と!!!

でね、だからこの大出血には多大なる期待を寄せているというか
この際、子宮の大掃除!デトックス!!という前向きで清々しい気分なのですよ
実際、いまはほとんど臭ってない(はず)です

おとうさんが亡くなる数日前には、奥の歯茎が腫れて口を開けるのもままならなくなり
歯医者で切開して膿を出したりもしてたんです、そんなこと初めて…

そんなわけで高齢出産、色々ガタが来てたりもしますが、
少しずつ、元に戻ってきてるのでしょうね
月のものがひと段落したら、体重ももう少し落としたいなー!



さらに話を展開させよう
先日、夫に「ちいはなぜfacebookをやらないの?」と聞かれました

答えは簡単

こういうぶっちゃけた記事が書けなさそうだからです!

仲間向けに当たり障りのないことを書く、または連絡ツールとしてのみ活用すればいいのか
でもテーマを分けてブログと2本立てにするのも、もはや面倒…
乳がんの過去を告げないで社会生活を送った期間が長くなったので余計そうなのかも

なんてねー

意外とやり始めたら大いにはまったりするものなのかもしれないけどね!
まあやっぱりここで自由に泳ぐだけで、ちいは満足~☆
私の「おとうさん」
2014年05月08日 (木) | 編集 |
4月の頭から誤嚥性肺炎で入院していた「おとうさん」=祖父が4.24に亡くなりました。
(親達がおとうさんと呼ぶので孫世代がそのまま祖父をそのように呼んでいるんです)

92歳、男性の平均寿命はとうに越えているので一般的には大往生ですよね。
だからちいも、この死に理不尽さは感じないけれど
いつも無条件に自分を肯定してくれる人がいなくなったことは何とも言えず寂しい…

以前より拙ブログでも何度かこのおとうさんの事を話題にしてきました。

2007.3.8 『リスクって一体』
2007.10.12 『ちい散歩』
2008.2.11 『レッツ英気養い』

小さい頃から人間的にウマが合ったというのかなぁ。

アクティブに孫とガンガン遊ぶ!というタイプの人ではなかったけれど
卑弥呼および邪馬台国が好きで関連書籍は全部うちにある!と言い切ってひたすら読書したり
趣味の書をしたためたり、お手紙や会報の記事を書くといった作業を黙々と行っているその横で

ちいはゴロゴロしながら1人で漫画を読んだり、ワープロを借りて詩集めいたものを作ってみたり

そんな風に何時間でも過ごしていられました。
デパートや映画や公園に行くよりも、とても心が落ち着いたし、楽しかった。

身体は丈夫でも、若い頃から目だけは悪くて晩年はほとんど見えていなかったようです。
だけど今年のお正月はちいのでっかくなったお腹を優しくさすって「がんばってるな」って…
「早く顔が見たいよ~」なんて言っていました。

本当はその位元気なうちに会ってもらいたかったけれど、初対面時は既に寝たきりに。

亡くなる前日にも息子を連れてお見舞いに行き、横に寝転がしておきました。
息子、なぜか声高らかに大爆笑!
手足をバタバタ動かして、おとうさんに襲いかかっていました^^;

息子なりのご挨拶だったのかな??

ちょっとヒヤヒヤしたけれど、元気な曾孫が生まれたこと、きっと分かってくれたと思います。

うちはなかなか子供ができなかったけど、おとうさんが何かしらの力で授けてくれて
お宮参りで産土神様への報告が済んだところで「もう大丈夫」って召されたのかな、とか

いろいろ考えてしまいます。

ちいの友人は「おじいちゃんと息子君は、引継ぎMTGしたはずだ」って^^
でも本当にね、そんなようなタイミングで…世代交代ってことなのかもしれませんね。

数年前に正式に「アルコール依存」を医者に告げられたおとうさん。
ここ3年ほどはお酒も飲めなかったけど
これからはいくらでも!なんならお酒の海で泳いでね!と
家族みんなで棺に日本酒をたっぷりと注ぎお見送りしました。

かける言葉は「ありがとう」やっぱりこれしかないです。

楽しいお話、貴重な文通体験、いつも可愛い可愛いと言ってくれた事、沢山褒めてくれた事
その独特のユーモア、愉快な生き様。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。おとうさん。
またいつか、一緒にお酒を呑もうね!
産後ブルーの日々②
2014年04月03日 (木) | 編集 |
かくして、入院中から母乳についての検索魔と化しiPhoneとニラメッコしていた。
産褥期に目を酷使した私は、多分、更年期に真っ先に目をやられるんだろう。もう諦めた。

母乳だけじゃない、この間まで繋がっていたはずなのに息子の全てが未知だった。
前も後ろも、右も左も分からない。
猫の慣らし期間を考え実家に戻ったのだが、父・夫、男所帯の我が家は全員が子育て初心者で抱っこすらおぼつかない。
神経が張り詰めているのが自分でも分かった。ジャックナイフ母。

結局、妊娠中は出産がゴールになっていて自分の事しか考えられていなかったのだ。
産後の具体的な生活をイメージできていなかった。可愛い洋服、カッコイイバギーなんてどうでも良かったのに。

育児書、母乳育児の本、予定外だった大量のミルクやらをポチポチしていった。
母乳育児を妨げない哺乳瓶なども新たに購入した。

どうしても迷った時は先に母になっている友人達にSOSを出した。沢山助けてもらった。

母乳分泌に大切な事は 産後直後からの頻回授乳、赤ちゃんが欲しがるだけ何回でも。
(母乳推進のスパルタ病院だと、ミルクは与えなかったりもするらしい)
そして、栄養・睡眠…ママのストレスは大敵なのだとか。

でもそれって産後の実生活とは真逆のことを求められてる気がした。
母乳を枯らせないためにはミルクの前に必ずおっぱいを吸ってもらわないといけない。
おっぱい→調乳→ミルク→哺乳瓶洗い→ゲップ、オムツを換えて…軽く小一時間はかかる。
睡眠なんて細切れ必須だし、ゴハンをノンビリ食べてる余裕なんてない。

私は必要以上にテンパっていて、髪にブラシを1回通すのに1週間かかった器の小さい人間だ。

何より、出ない母乳が特大のストレスそのもので、まさにデフレスパイラル。

頻回授乳といわれても、既に結構な量のミルクを与えてしまっている我が子はよく眠った。
消化の良い母乳と違い、ミルクは腹持ちがよいのだそうだ。
母乳を増やすにはミルクを減らして空腹感を煽り、泣いてもらい、吸ってもらうしか方法は無さそうだったが、自己流でそんなことをして万一、彼の成長を妨げてしまっては本末転倒な話だ。

正直、自分でもナニを目指しているのか良く分からなくなっていた。
母乳とミルクの混合と言っても、この先外出などが増えたら上記のようなルーティンを続けるのも難しそうだ。搾乳して与えられるほどの量も無い。

使い物にならないおっぱいなら、早く誰かにそう言って欲しかった。
そうすれば、迷いなくミルク1本(=完ミ)にできるのに。

埒が明かなくなり、産後2週目から区の保健師さんや助産師さんの訪問をお願いしてひたすらブルーを訴えた。
産院の母乳外来、および、母乳育児を推進している相談室に通いマッサージも受けた。
明確な答えが出るわけではなかったが、いろいろな気付きもあり、また具体的に動き始めた事でほんの少しずつではあったが気が晴れた。

息子の体重チェックも兼ねて週一のマッサージ通いは今も継続している。
ミルクをどの位足すかはずっと悩みどころだが、色んな意見を自分なりに解釈して量を決め、細々と混合栄養を続けている。

が、やっぱりおっぱいはほとんどおしゃぶり状態で実質ゴハンとしては機能していない感じ。

全く母乳ってヤツは…今日でなくても、明日でるかもしれないと思うとなかなか止め時も難しく。
今は、もう少しだけ頑張ってみて、時期が来たら完ミに移行しようと思っている。
4ヶ月、また6ヶ月、はたまた1年かけて完全母乳(=完母)になる、また母乳比率を半分や三分の二程度に持っていく人もいるらしいが、根気と信念、根本的な体質、理想の生活スタイル…色んな要素が絡むかと。

というわけで
貴重な新生児期を泣いて過ごしてしまったことは勿体無かったし、本当に情けないけど
少しでも母乳をあげたいと思い立ち行動した事は、不器用な私なりの母性だったのかな?とも感じている。

実は未だに「母親」としての自分に実感が沸かない。
ただ、私のミスで将来に影響が及ぶような事があってはならないし、この子を守らなければとは強く思う。
その意味でミルク缶にご丁寧に書かれている「赤ちゃんにとって最良の栄養は母乳」というのを
なんとか実現してあげたかったのかな、と。

(余談ですがこの文言って必要なのかね?今まで4ブランドのミルクを購入してみてるけど全部に書いてある。決まりなのかな?そんなの分かりきってるし、事情があってあげたくてもあげられない人にとっては余計なお世話だと思うのだけど)

半年経てば離乳食が始まり、過ぎたことはすっぱり忘れてしまう位悩みは次々出てくるそうで
当たり前だけど子育てはノンストップ。一旦休みも、振り出しに戻るもない。

もっと大らかに構えて、楽しみたい。これからは息子と一緒にたくさん笑いたい。

そのために、自分にできない事を嘆くより、できる事をしっかりと。まだまだ修行が必要だけど。
へっぽこ母さん、これからも頑張ります!
産後ブルーの日々①
2014年04月02日 (水) | 編集 |
長くて暗い記事を2回に渡ってお送りします~
そんなこともあったな、という記録です

……

今はだいぶ落ち着いたが、
産後1ヶ月を過ぎるあたりまで心身共に自分史上どん底に近い状態だったように思う。

まずは身体のこと。
前の記事にも書いたように、微弱陣痛タイプだった私は丸2日間ろくに眠らずに唸り続けた。
ときに貴重な毛髪を毟り取らんばかりの勢いで引っ張って、痛みを逃した。
(後に夫が「あれは怖かった…」と漏らしていた)
なかなかお産が進まないため促進剤を少量から始めたが効きが悪く
最終的にはかなり量を増やし、更に助産師さんに上からお腹を押してもらって
ようやく3525gのビッグな我が子と対面できた。

そんな、いまだかつてない疲れの中にいるはずなのに、直後は躁状態だった。
目がランランと冴え渡り、産後2日目には一睡もせずに朝を迎えることとなった。
(ちなみにこの日の深夜がソチの男子フィギュアの日だったがそれを見ていたわけではない。)

次の夜からは睡眠導入剤を処方してもらい、ようやく3,4時間眠れるといった有様。

そこまでして眠れたのにも関わらず…自律神経が狂っていたんだろう。
真冬だというのに滝のような寝汗をかいて、目が覚めるとガタガタ震えた。

この酷い寝汗は、退院してからもしばらく続いた。
疲れを癒すための睡眠で余計に体力を消耗しているように思えた。

そしてメンタルのこと。
もともとホルモンバランスが崩れて産後ブルー・産後鬱に多くの人が陥る事は知っていた。
不安になる、自信がない、わけもなく涙が出るといった典型的症状が自分にも現れて
当初はある程度客観視もできていたのだが、ここに「母乳問題」が追い討ちをかけた。

私は、ほとんど母乳が出なかった。

妊娠中は、母乳なんて産めば出るんでしょ、友達もみんなおっぱいあげてたしな、
ま、出なくても片チチだし仕方ないかもね、なんなら乾杯か!?なんて…

要は、あまり深いことを考えていなかったし、当然勉強もしていなかった。

病院は完全母子別室制、ママ休んでね、という感じで、おっぱい指導も緩めだった。
むしろ自分から積極的に情報を捕りに行かない限り、放っておかれる感じ。
3時間ごとにママが一斉に集まり、オムツ替えと授乳を行う。夜中の2回は助産師さんが代行。
おっぱい前後では赤ちゃんの体重を量って母乳量を測定・記録し、足りない分はミルクで補う。

同時期に入院してた周りのママ達は多かれ少なかれ、出ているようだった。
経産婦さんは涼しい顔で授乳をこなし、
初産ママでも、張っちゃって痛い、母乳溢れているのに赤ちゃんが上手に飲めない、など
私から見れば1段上のレベルの悩みを訴えているようだった。

私は片チチではあるものの、陥没や扁平といった乳首の形状的な問題がある訳でもないし
うちの子も結構上手に吸い付く事はできている感じだった。
条件は悪くないはず。
なのに授乳後は、カラパイ吸わされて体力消耗しちゃったのか2g減っていたりする。
切なかった。

先生には回診のたび「おっぱい張ってきた?」と聞かれた。
いつ張ってくるのか、いつ分泌が始まるのかと待っていたが一向にその気配すらない。

なんで私だけ出ない?そんなの想定外。
この先どうしたらいいの?ミルクなんて買ってない。
母乳が足りない人もそれ「さえ」あげれば後はミルクでも栄養的には遜色なし、と言われる
免疫がたっぷり含まれた黄色い初乳…出てこない。

日増しに焦りが増してきた。そして惨めだった。
退院前日、授乳室からベッドに戻り1人マッサージをしてみると何とか1滴搾り出せた。
でも既に白い。黄色くない。初乳はどこへ行った?それすらあげられていないんだと自分を責めた。
自分のせいで子供に何かあったらどうしよう、耐えられない。
(この思考そのものが産後ホルモンのいたずらなんだけどね、当時は大真面目だもんで…)

誰に言われたでもないのに勝手に追い詰められた様子を見て、先生や助産師さんには
「個人差あるから」「おっぱいだけが全てではない」「これからよ」などと慰められた。
でも、あまり耳に入ってこなかった。

状況は改善されぬまま退院の日を迎えてしまった。
晴れの日のはずの写真の中の私は、疲れと睡眠不足で顔が浮腫んでパンパンだ。

ろくな食料も持たぬまま荒野に息子と2人、放たれてしまったような心細さしかなかった。